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剽窃禁止(FPRn8712546-1) 《おうとうしゃ カレントコラム アーカイブ》 ![]() ◎ 上の写真は、桜冬舎 2021年6月の広告切抜き。 以前、このカレントコラムの3ページ目「思考言語への第一歩」(特にその下欄の注)で小学英語の懸念を書いておいたが、やはりそんな気配だ。現場の声はともかく「早期教育が大事」という触れ込みで始まった訳だが、その「外国語の早期教育」は教科書では 一体どこから始まっているのだろう。 言うまでもなく言語は叙述、すなわち 文 だ。「文の組み立て方」を第一歩から学ばせて、その上に単語をどんどん乗せて行けば いくらでも楽しく実質的な 外国語 の勉強ができる。 逆に ゆとり教育の伝統で「文の組み立て方」を避け、英単語でお茶を濁していたのでは、それらはいつまでたっても「外来語」。外国語ではなく日本語の領域だ。
「英語の先進教育」などと 浮かれていればいるほど、そして日々の授業場面では 例えばゲーム感覚等で英単語を扱い 盛りあげてしまうほど、やがて肝心の「文」の勉強が始まる頃には 子供たちは知性が麻痺して眠くなってしまう。 それでも企画した側から見れば、英単語を詰め込めば 消費者英語(=植民地英語)として大成功 ということにもなるらしいから 深層は怖い。
それにしても 日本では「英語検定」がほぼ《義務》だが、逆に英米で「日本語検定」が要求されるなどということがあり得るだろうか? 日頃、労働法制や軍事法制が変えられると ある程度 世の中は騒がしくなるが、もっと根本的な教育行政の方針が変わっても、「変える目的は何なのだろう」と気づき 考える人はまず居ない・・・・。 それどころか 教育関係者・被教育関係者を問わず大方は《現実論者》だから、教科書が改訂される度に 不安な《現実》の中をオロオロとつき従い、そこを商機に 教育産業が漁(すな)どり回ることになる。 といった憎まれ口は、後日 新教科書をまとめて検討する時まで慎むことにしよう。今回の改定には なかなか面白い面もあることだし・・・・ |
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